ここでは、多くの人(生徒、保護者以外の人も含めて)にとって、国語の勉強法がどうして分からないのかを説明します。
そんなのはいいから、勉強法を早く知りたい!という方。 何事も大切なのは原因を分析することです。
まず、国語という科目は「同じ問題は絶対に出ない」という点で他の科目と大きく違います。同じ文章というもう少し広い枠組みでも、平均的な受験生であれば一度見たことがあるかどうかという程度でしょう。文章に再現性が無い上に、同じ文章であっても作成主体によって問題はかなり異なります。また、他の科目には存在する「類題」も殆どありません(実際には類題といえる問題がたくさんあるのですが、国語のことを深く知らないとそれに気づけないため、存在しないのと同じです)。
そのため、国語の問題を解いても、次に生かせることが殆ど無い状態に陥ります。これが他の科目であれば、「問題を解く→やり方を知る→似たような問題をやってみる→やり方がマスターできる」という繰り返しで、その分野が得意になっていきます。国語の場合には、「問題を解く→やり方を知る→似たような問題が無い・・・」となってしまうのです。つまり、同じ問題が存在せず、類題にも気づきにくいので、繰り返して練習するということができず、やり方がマスターできないため、いつまでたっても国語が得意にならないわけです。
次に、国語の場合、「やり方」自体がよく分からないという点が挙げられます。国語の問題を講師の所に持って行って質問したとします。講師はたいてい、こうやって説明をするはずです。「この文章は○○について書いてあるよね。問題はXXを聞いているよね。じゃあ、答えはどれ?」この教え方には非常に問題があるのですが、残念ながら国語を専門としている方でも、このような教え方が目立ちます。
では、この教え方のどこに問題があるのでしょうか?当然ですが、生徒は上の「○○」、「XX」の部分のいずれか、あるいは両方が理解できないから質問に来ているわけです。それに対して講師の側はただ答えを教えているだけです。そして、残念なことに国語は同じ問題が出ないのです。つまり、生徒にとって「○○」や「XX」が何であるかを知っても全く意味がなく、真に必要なのは次に本文を読み問題を解いた時に自力で「○○」や「XX」が何なのかを理解できるようになることなのです。
そして、講師は本来、その生徒が「○○」を理解できなかった原因を探って、その原因を取り除いてやらなければならないのです。それは、本文の読み方かもしれません。問題文の見落としかもしれません。言葉の意味を知らなかったのかもしれませんし、勘違いをしていたからかもしれません。この原因を取り除くこと(本文を読む時に接続語に注意しよう!とか、少なくない人という言葉は結構多くの人という意味なのだと覚えておこう!とか)こそが、「やり方」の部分なのですが、そこまで辿りつけないことが多々あります。
さらに、受験に必要なものがよく分からないという点を最後に指摘しておきます。他の科目の場合、中学受験を専門としている人以外の人にも、その中学の出題傾向は比較的よく分かります。ところが国語の場合、それがよくわからないことが多いです。漢字が何問出るか、文法は?慣用句は?・・とこの辺りまでは分かっても、その中学に特有の出題傾向はなかなか見えてきません。ただ、出題傾向というのは確実に存在します。国語を専門としている者の場合、南女の問題を見せられて滝の問題だという人はいませんし、滝の問題を出されて東海だと答える人もいないでしょう。この出題傾向がわかりにくいために、ますます何をしていいのかよく分からなくなってしまうわけです。
その上、それぞれのカテゴリ毎の労力配分についてもよく分からないことが多いです。 受験する中学ごとに到達できていなければならないレベルが違います。滝を受験するのに自由記述の練習をしても意味が無いですし、金城を受験するのに記述の練習をしても無意味です。逆に南女を受けるのに長文記述の練習をしなかったり、滝を受験するのに体に関する慣用句に手を付けていないのはマズイでしょう。結局、国語の勉強法がわからないのは、情報が圧倒的に不足しているからだと結論づけられます。